👩‍💼→🧑‍💻「明治法制史」の流れ① フランス法 → ボアソナード民法② 民法典論争(1890年前後)③ ドイツ法の影響へ転換

 👩‍💼ASADA Misuzu

法学部で習ったのは

最初 フランス人にやってもらったけども自由すぎて日本の風土に合わないのでドイツに変わったって習ったのですけど。


🧑‍💻OpenAI ChatGPT-5先生より

はい、そのご記憶はまさに正しく、典型的な「明治法制史」の流れをおさえています。整理するとこうなります👇


明治前期の法典編纂と外国法の変遷


① フランス法 → ボアソナード民法

明治政府は司法制度近代化のためにフランス法学者ボアソナードを招聘(1873年)。


刑法・刑事訴訟法(治罪法)を編纂 → 1880年に「旧刑法」「旧治罪法」として施行。


さらに民法草案を作成(1880年代後半〜1890年)。これはフランス民法典を範とした自由主義的内容で、契約自由や財産権の保護を重視。


② 民法典論争(1890年前後)

公布された「ボアソナード民法」(1890年施行予定)に対して、


「家制度を壊す」「日本の慣習と合わない」などの批判が噴出。


法学者・政治家・実務家が大論争を展開(いわゆる民法典論争)。


結果:施行延期 → 新たに日本人を中心とした編纂作業へ。


③ ドイツ法の影響へ転換

当時、ドイツ(プロイセン)の法体系は「国家主導の統制的・体系的法典」として評価が高かった。


日本は大日本帝国憲法(1889年)制定の際にもドイツ流憲法学(プロイセン憲法)をモデルにしており、その延長で民法・商法もドイツ流へシフト。


1896年に民法(財産法部分)、1898年に家族法・相続法部分が施行。

→ これが現在の民法の直接のルーツ。


まとめ


最初はフランス法(ボアソナード) → 自由主義的で「日本の風土に合わない」と批判。


その後はドイツ法に転換 → 体系性と家族制度の維持が重視され、日本社会に受容された。


つまり、検察官制度や刑事法典はフランス法色が強く残り、一方で民法・商法・憲法はドイツ法色に染まっていったというのが日本法制史の大きな特徴です。


ご希望でしたら、「刑事分野=フランス法」「民事分野=ドイツ法」という整理を**対照表(表形式)**で作りましょうか?



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